【読書ログ】伊藤紺『わたしのなかにある巨大な星』を読んで感じたこと

好きな歌人、伊藤紺さんの初エッセイがとても面白く、一気読みをしたのでその感想を書いてみたいと思う。
1.前置き
ここで少し前置きを。読み飛ばしていただいても、構わない駄文。
僕は昔から、読書感想文というものが苦手だった。そもそも、感想を述べる、という行為自体がどうも苦手な節がある。大人になったら今でもそう。(これについてはまた別途、書いてみたいと思っている)。
さて、小学校2年生の時の話。夏休みの宿題の関門、読書感想文を最後までやり残し、グズグズと泣きながら書いた記憶がある。
たしか読んでいたのは当時の課題図書となっていた本で、緑色の装丁で羊が出てきた、御涙頂戴な感動系の話だった気がする。だが感想文は自力では書くことができず、母親がほぼほぼ書き直した。その結果、小2の書くクオリティではなかったであろうその感想文は表彰されてしまった、ということがあったくらい、自分ではろくに書けなかった。母が、ゴーストライターになってしまった。
時を経て、大学生の頃もレポートが苦手で、課題となっている文献についてレポートを書けと言われたものの、文献の引用ばかりになってしまいダメ出しをされた。卒業論文は質問紙調査から逃げたかったがために、文献研究をするしかなくなってしまった。自分を被験者にして心理療法を試して結果どうなるかという、独りよがりな卒論を書いた。卒業させてもらえるほどの論文など書けた自信はないけど、なんとかできたから良しとしよう。
2.読書感想文
ということで、「僕は読書感想文が苦手マンですよ〜」という免罪符(いいわけ)を提示した上で、書いてみる。そう、久々に感想文を書きたくなるような面白いエッセイだったからだ。
どこまで中身について触れて良いのか、というのがわからないし、僕が感じたことであって正解かはわからないのだけども。
この本の、全体に流れている、伊藤紺さんの素直で、優しくて、不器用な、儚げな、でも芯がスッと通っているのが伝わってきた。それはこれまでの短歌からも感じている部分ではあったけど、このエッセイではより彼女の持つ人間性のディティールが明確になったし、その人間性に共感する部分と、愛らしさを感じた。おしゃれで、凛とした印象がありながらも、でも格好つけていなくて、自然体。僕にとっては異性だけども共感するところや憧れる部分があって、読んでいて救われた部分もある。好きだったエッセイをかいつまんで話すと、
- 友人が話す「スタバっておいしいんだねえ」という愛らしい言葉が印象的な「短歌をはじめた日」
- 祖父母との思い出、ありきたりなようで、ふたりの世界でしか感じ得ることができないであろう「足りない言葉」
- 「巨大なこと」では、やりたいこと、やりたくないことが多く語られる。そしてそれらが彼女に取っては、他人に言われるような小さなことではなく、巨大なこと。そこへの静かな、熱い思いが語られる。
- 「言語画が苦手」は僕が1番共感したエッセイ。話すのがあまり得意でないという彼女。急に説明や感想を求められるのが苦手、という一説が本当に共感した。僕も現に今感想を書いてるし、冒頭でも苦手と言っているけども、こうして時間をかけてだからできている。
3.おわりに
このエッセイを読み進めていると、自然と自分の経験と重ね合わせたり、人生を振り返ってみたりしている自分に気づいた。作中でも「みんなはあなたじゃないんです」という言葉が出てくるけれも、少なくとも僕は「あなたと同じ気持ちを感じたよ」と、本の中の彼女と対話をした。自然とそう思わせてくれる優しいエッセイ、素敵でした。
新刊として本屋さんに並んでいると思うので、ぜひ手に取ってみてくださいな。
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